2019年1月号(QRコード・SNS用)

2019年1月号 デジタル・トークライン

<CONTENTS>

1.今月の向山洋一 教育語録
2.谷編集長の5min.アンサー
3.高段者に聞く Q&A!(動画・音声)
 小嶋悠紀先生
4. 4.8.1月号特別企画!あの高段者の国語・算数授業  動画あり!
 谷和樹先生・松山英樹先生・河田孝文先生・林健広先生・許鍾萬先生・松崎力先生・木村重夫先生
5. 特集:向山型類似指導の徹底検証
 桑原和彦先生
6. デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
 小野隆行先生
7.大成功の絵画工作指導
 酒井臣吾先生
8.今月のサークル動画
9.本誌掲載論文の関連カラー画像
 稲嶺保先生・太田政男先生・上木朋子先生・小嶋悠紀先生・美崎眞弓
10.トークライン本誌PDFデータ
11.今月の表紙人物
 水川勝利


1.今月の向山洋一 教育語録

「ノートに×がいっぱいついた方が、お勉強ができるようになるんだな。」

仮の商を立て、間違っていたら×をつけてやり直す。
この方法だと、どの子も正答にたどり着くことができる。
算数が苦手な子に優しい方法だ。
そして、×をつけてやり直しをする子たちを励ます効果があるのがこの言葉だ。
わり算の筆算だけではない。間違えた所を消さずにやり直すという学習のしつけを身に付けさせるための趣意説明になる言葉である。

(解説:TOSSデジタルチーム  河野健一先生)

上の動画は、TOSS動画ランドで配信予定の「向山洋一の授業「わり算の筆算」」の向山洋一本人が解説する特典映像の一場面です。

本編全てを見たい!という方はコチラ→TOSS動画ランド

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2.谷編集長の5 min. アンサー

1月号のテーマは「保護者を味方にするアプローチ」です。

こちらは「谷編集長の5min.アンサー」の音声配信です!

音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。 

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3.高段者にきく!Q&A(動画・音声)

 1月号は小嶋悠紀先生の「授業力向上術・後編」です!

こちらは「高段者にきく!Q&A」音声配信です!

音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。

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4.4.8.1月号特別企画!あの高段者の国語・算数授業

《2年国語》
「てのひらを太陽に」の授業展開例
谷和樹先生&松山英樹先生

本誌40、41ページ掲載の関連動画をご紹介します。

《3年国語》
「こそあど言葉」学習内容が定着する2つのポイント
河田孝文先生&林健広先生

本誌42、43ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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《4年国語》
ちらしと説明書と本文の文言を対応させることで「国語B問題」にも対応できる力を付ける
許鍾萬先生&田中浩幸

本誌44、45ページ掲載の関連動画をご紹介します。

《5年算数》
対話力育成の核は説明力
松崎力先生

本誌46、47ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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《6年算数》
面積を子供がイメージしやすい言葉に言い換える
木村重夫先生

本誌47、48ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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5.特集:向山型類似指導の徹底検証

「跳び箱は誰でも跳ばせられる」ことを常識にするための、向山洋一氏の問題提起である
桑原和彦先生

本誌20ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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6.デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説

ケース会の成功はコーディネーターの仕事で決まる
小野隆行先生

関連資料をダウンロードできます。
詳しい解説は本誌P37に!

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ダウンロード(PDFファイル)はこちらから→子供も保護者も満足するケース会議のポイント

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7.大成功の絵画工作指導

名作「屋根の上の白い猫」を一版多色版画(スチレン版)で
酒井臣吾先生

本誌32、33ページ掲載の酒井式描画指導法研究会 酒井臣吾先生の画像をカラーでご紹介します。
解説は本誌をご覧ください。

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7.今月のサークル動画

本誌で紹介しきれなかった魅力を動画でご紹介いたします!
※連絡先など、詳細は本誌(78ページ)をご覧ください。

①教育から行うひとづくり・まちづくり
越智敏洋先生

サークル名:TOSSいちばん星(京都)
代表:越智敏洋

②大切なことは続けること
進土かおり先生

サークル名:TOSS中学・三重アイリス(三重)
代表:進土かおり

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8.本誌掲載論文の関連カラー画像

①写真で解説!TOSS流板書術・ノート術
場所を選ばず、動きを「見える化」するスケッチブックの活用
稲嶺保先生

本誌26、27ページ掲載の関連画像をご紹介します。

スケッチブックで説明

スケッチブックで説明

タイムの測定をスケッチブックで掲示

タイムの測定をスケッチブックで掲示

発問を補助するイラスト1

発問を補助するイラスト1

発問を補助するイラスト2

発問を補助するイラスト2

道具の配置図

道具の配置図

学習カードの使い方の例示

学習カードの使い方の例示

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②授業が激変!TOSS指導法最前線
思考ツールとTOSSメモで意見文を書く
太田政男先生

本誌30、31ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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③「基礎基本の授業例」と「主体的で深い学びの授業例」
≪理科:基礎・基本≫
変化をはっきり見せるにはコツがある
上木朋子先生

本誌50ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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≪理科:主体的・対話的で深い学び≫
自由施行で金属の温まり方の性質を追求させる
上木朋子先生

本誌51ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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④特別支援教育
体が常に動いてしまう子供
小嶋悠紀先生

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⑤人気女性ライター トークラインだけの裏話
ああ、英語が話せたら
美崎真弓

本誌75ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

怒るのも無理はない。 人物が小さく、迫力なし。

怒るのも無理はない。
人物が小さく、迫力なし。

確かによく撮れている。 モデルのおかげ、だけでない。

確かによく撮れている。
モデルのおかげ、だけでない。

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9.トークライン本誌PDFデータ

本誌全ページのPDFデータがダウンロードできます。

(本誌と一部のフォントが異なります。また、画像の解像度を低く設定しています。ご了承ください。)

閲覧・検索にどうぞご利用ください。(印刷はできません。)

こちらをクリックしてください→教育トークライン2019年1月号 本誌PDFファイル

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10.今月の表紙人物

19トークライン-1月-根本-博

根本 博
(ねもと ひろし)

1891年6月6日 – 1966年5月24日
日本および中華民国のの陸軍軍人。中国名は林保源。
終戦後、駐蒙軍司令官として、侵攻をやめないソビエト軍から在留邦人4万人を救った。
また、金門島における戦いを指揮し、台湾の存立に貢献している。

「台湾を救い、日本の安全も守った“戦神”、根本 博」

1945年(昭和20年)8月15日、駐蒙軍司令官であった根本博陸軍中将は、満州に隣接する内蒙古で敗戦を迎えた。
玉音放送が流れた。直属の上司 岡村寧次陸軍大将 支那派遣軍総司令官から武装解除命令の電報が届いたが、根本はそれに従わなかった。
根本はソ連軍の本質を見抜いていた。6日前の8月9日から満洲に突如侵入してきたソ連軍の蛮行が、根本のもとに伝えられていた。
満州では武装解除をしたことで、ソ連軍は国際法を守ることもせず、日本人に対して略奪、虐殺、強姦の限りを尽くし、大勢がシベリアへ抑留され、命を落とした。
根本は、「罪を問われた際は一切の責任は自分がとる」といって「地元民、邦人、および我が部下等の生命は、私が身命を賭して守り抜く覚悟です」「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」と、日本軍守備隊に対して命令を下した。
先月号の表紙の人物、樋口季一郎と同じ決断だ。
根本の声はモンゴル地区に散在していた日本人居留民たちを安心させた。

根本の目的は、侵略してくるソ連軍と戦い、時間を稼いでいる間に4万人の居留民が安全に引き上げる時間をつくることだった。
日本軍守備隊は司令官の断固たる決意に闘志を燃やし、攻め込んできたソ連軍と激戦を展開した。結果、ソ連軍は戦車15台の残骸を残して退却していった。
武装解除をしたため多大な被害が発生した満洲とは違い、根本の決断により、2500名中戦死者70名弱程度出したものの、4万人の居留民は全員帰国できたのだった。

根本 博の長女、富田のりさんは父の決断について次のように語っている。
「軍隊の務めは領土と国民を守ることだ。外地では日本人の清明・財産を守ることが軍隊の務め。父はあたりまえのことをしただけ。他の方がしなかっただけ。」

実はこのとき在留邦人や日本軍の帰国は、蒋介石率いる国府軍の手厚い庇護によって無事に行われていたのだった。満洲を略奪し、数十万と言われる日本人をシベリアに抑留したソ連とは対照的であった。
このことで根本は蒋介石に恩義を感じた。
また蒋介石は、1943年(昭和18年)11月に行われた「カイロ会談」で、アメリカ・ルーズベルト大統領やイギリス・チャーチル首相に対して、日本の戦後の国体に関して、「我々は日本国民が自由な意思で自分たちの政府の形を選ぶのを尊重すべきである」と主張し、賛同を取り付けた。ここから天皇制存続の道が開けていったともいわれている。このことにも、根本は恩義を感じていた。

終戦の年、1945年(昭和20年)12月、北京にて、面会を求めて来た蒋介石に対して根本は「東亜の平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます」と約束した。

その後、在留邦人と将兵の帰国は約1年で無事完了し、根本中将は1946年(昭和21年)8月に最後の船で帰国の途についた。

根本が東京南多摩郡の自宅に戻ったのが、 1946年(昭和21年)8月。敗戦からちょうど1年経っていた。それから3年、台湾は押し寄せる共産党軍と廈門・金門島を挟んで対峙するに至る。まさに破滅の淵に瀕していた。
そんな時、根本のもとへ「李鉎源」と名乗る台湾人青年が現れた。
「閣下、私は傳作義将軍の依頼によってまかり越しました」と語った。傳作義は、蒋介石と深い縁のある将軍である。
根本はなんとか蒋介石を助けたい、と思っていた矢先の依頼に、ただ嬉しく、ありがたいと思ったという。「私でできることであれば、何とか助力したい」と即答した。

しかし当時はGHQ占領時である。日本人は海外へ行くことはできなかった。
根本はあるとき、「釣りに行く」と家族に告げて釣り竿一本携えて出かけていった。
根本博は通訳を依頼した吉村是二とともに GHQの目をなんとかかいくぐり、九州の宮崎・延岡からぼろ舟で台湾へ向かった。
資金も何もない根本博、吉村是二の一行を台湾密航させるべく貢献したのは、明石元二郎総督(本誌2018年10月表紙)の子息、明石元長氏であった。明石元長は密航を実現させるため,資金繰り等に奔走。そしてなんと、根本らが出向した直後、過労からか急死している。
一行は途中、暴風雨にあったりしながら苦難の密航は成功し、なんとか台湾に着けた。まさに奇跡だった。

蒋介石と再会した根本は「厦門は放棄し、金門島を死守する」という基本方針を出し、最前線で作戦を指揮した。
やがて根本は“戦神”と呼ばれるようになった。
すごい勢いで上陸してくる共産軍を一旦上陸させ、共産軍が乗ってき木造帆船を焼き払い、共産軍を追い詰め一挙に殲滅した。
共産軍は途中、市民を盾にとりだした。それに対して、ともすれば市民の犠牲も厭わない国民党軍の作戦を根本は断固否定した。市民を絶対守るとの決断の元、新しい作戦を立案・実行し、共産党軍およそ3万を一気に壊滅した。勢いに乗って攻め立てた共産軍は、主力を殲滅されたため、その進撃は完全に止まった。
かくしてわずか2昼夜で「金門の勝利」が確定した。
ついに根本は蒋介石に『恩』を返すことができたのだ。

金門島はそれから60年を経た今日も台湾領であり、中国の海峡制圧と台湾侵攻を防いでいる。

さて前線から戻った根本一行を迎えた蒋介石は、根本の手を握って「ありがとう」と言った。蒋介石総統に恩を返す、それだけのために台湾に密航した根本にとっては、その言葉で十分だった。

1952年(昭和27年)6月25日、根本は羽田空港に降り立った。ぼろ船で延岡を出航してから、3年後のことである。タラップをおりてくる根本は、出発した時と同様に、釣り竿を担いでいた。
大勢の報道陣が根本に質問した。「台湾で何をしてこられたんですか」との質問に、根本は「日本の天皇制は蒋総統のおかげで助かったので、その感謝の気持ちを伝えたかっただけだ」と本音を言った。「でも、噂のような募兵計画などに参加したり、前線に出て部隊の指揮をとったりしたことはないよ」と、巧みにはぐらかした。

台北の中心に立つ巨大な中正紀年堂には、蒋介石の巨大な像とともに、彼の執務室を再現した部屋がある。その中に高さ40センチほどの花瓶が置かれている。他の壺や置物は一対となって左右に分かれているのに、この花瓶は一つしかない。
この花瓶は1947年に2個1組として3組だけ作られ、1組は日本の皇室に贈られた。もう1組はエリザベス2世に贈られ、最後の1組のうちひとつは蒋介石が自分の手元に置き、もう一つを、感謝と友情の証として根本博に送った。お互いがお互いを決して忘れないという意味で。

「戦神」と称えられた根本博の軍事貢献がなかったら、
台湾は中国共産党に占領され、戦後の日本及び北東アジアの運命も大きく変わっていたはずだ。根本博のおかげで日本の市民4万人と将兵35万人の命が助かり、台湾との関係で我が国の安全も確保されたといえる。
根本博は正に戦後の日本と台湾の救世主の一人だった。
根本博のことを一人でも多くの人に知ってほしいと思い今月号の表紙に選んだ。

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