2018年12月号(QRコード・SNS用)
- 10月
- 09
2018年12月号 デジタル・トークライン
<CONTENTS>
1.今月の向山洋一 教育語録
2.谷編集長の5min.アンサー
3.高段者に聞く Q&A!(動画・音声)
小嶋悠紀先生
4. 特集:働き方改革はこうすれば実現する
田中一朗先生・許鍾萬先生・塩谷直大先生
5. デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
松田春喜先生
6.大成功の絵画工作指導
佐藤昌彦先生
7.今月のサークル動画
8.本誌掲載論文の関連カラー画像
四島誠先生・井戸砂織先生・塩谷直大先生・大森雄一先生・笠井美香先生・林健広先生・川原雅樹先生・間英法先生・美崎眞弓
9.トークライン本誌PDFデータ
10.今月の表紙人物
水川勝利
1.今月の向山洋一 教育語録
「写真を見て、気が付いたことをノートに箇条書きにしてください。」
1991年雪谷小学校で行われた社会科の公開授業である。
この授業で向山氏は「環境サイクル図」を初めて公開している
。
授業は、写真の読み取りから始まる。
一枚の大きな写真を提示して、
向山氏は発問する。
すると子供たちが活動しだす。
自席で作業する子もいるが、黒板の前に出てきて写真を見ながら床でノートを書いている子もいる。
向山学級の自由度が垣間見れる場面だ。
その後、子供たちの指名なし発表。向山氏のサイクル図の提案と授業は続いていく。
(解説:TOSSデジタルチーム 戸村隆之先生)
上の動画は、TOSS動画ランドで配信予定の「向山洋一の授業「環境サイクル図」」の向山洋一本人が解説する特典映像の一場面です。
本編全てを見たい!という方はコチラ→TOSS動画ランド
2.谷編集長の5 min. アンサー
12月号のテーマは「授業の原則 第九条 個別評定の原則」です。
こちらは「谷編集長の5min.アンサー」の音声配信です!
音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。
3.高段者にきく!Q&A(動画・音声)
12月号は小嶋悠紀先生の「授業力向上術」です!
こちらは「高段者にきく!Q&A」音声配信です!
音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。
4.特集:働き方改革はこうすれば実現する
「ゴール(退勤時間)を決めて」を合言葉に
田中一朗先生
本誌21ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
情報の「スピード」を意識せよ
許鍾萬先生
本誌22ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
個人・チームで活用すると教師修行が飛躍する
塩谷直大先生
本誌23ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
5.デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
校内(研修)サークル活性化のための五つの秘訣&提案文書
松田春喜先生
関連資料をダウンロードできます。
詳しい解説は本誌P37に!
ダウンロード(PDFファイル)はこちらから→情報収集アンケート
6.大成功の絵画工作指導
理科と図画工作の連携教材「針金の大変身」
佐藤昌彦先生
本誌32、33ページ掲載の佐藤昌彦先生(北海道教育大学教授)の画像をご紹介します。
解説は本誌をご覧ください。
7.今月のサークル動画
本誌で紹介しきれなかった魅力を動画でご紹介いたします!
※連絡先など、詳細は本誌(78ページ)をご覧ください。
①力量を高め、学校や地域に貢献していく
上木信弘先生
サークル名:TOSS越前(福井県)
代表:上木信弘
②崩壊クラスから復活!
末光秀昭先生
サークル名:TOSS長崎・出島サークル(長崎県)
代表:末光秀昭
8.本誌掲載論文の関連カラー画像
①写真で解説!TOSS流板書術・ノート術
詩の授業は、板書で劇的に変化する!プロ教師の板書活用術
四島誠先生
本誌26、27ページ掲載の関連画像をご紹介します。
②授業が激変!TOSS指導法最前線
リアクションで、会話を楽しく長続きさせる
井戸砂織先生
本誌28、29ページ掲載の関連資料をダウンロードできます。
ダウンロード(PDFファイル)はこちらから→リアクションシート
TOSSメモが効果を発揮する効率の良い、実験順序
塩谷直大先生
本誌30、31ページ掲載の関連資料をダウンロードできます。
TOSSメモが効果を発揮する効率の良い、実験順序
大森雄一先生
本誌35ページ掲載の関連資料をご紹介します。
③現在進行形の教科書単元
≪3年:国語≫
気持ちや言葉に~発見や感動が伝わるように、言葉を考えて詩を書く~
笠井美香先生
本誌42ページ掲載の画像をカラーでご紹介します。
≪6年:算数≫
関係図もノートにかかせる
林健広先生
本誌49ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
④基礎基本の授業例 社会
TOSS向山型社会パーツ集その1「全学年で使える1時間の流れ」
川原雅樹先生
本誌50ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
⑤中学校の授業実践
中学3年遺伝の授業・モデル実験でシミュレーション
間英法先生
本誌55ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
⑥人気女性ライター トークラインだけの裏話
ほどほどでいい
美崎真弓
本誌75ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
9.トークライン本誌PDFデータ
本誌全ページのPDFデータがダウンロードできます。
(本誌と一部のフォントが異なります。また、画像の解像度を低く設定しています。ご了承ください。)
閲覧・検索にどうぞご利用ください。(印刷はできません。)
こちらをクリックしてください→教育トークライン2018年12月号 本誌PDFファイル
10.今月の表紙人物
樋口 季一郎
(ひぐち きいちろう)
1888年8月20日 – 1970年10月11日
日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。
歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任。
戦時中、ユダヤ人をナチスの迫害から脱出させるため尽力した。
「日本を共産主義による分断国家の危機から救った英雄、樋口季一郎」
大東亜戦争に負けた日本。その領土は今どうなっているか。
竹島は韓国の国際法違反により不法占拠されたまま。
北方領土は1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、8月28日から9月5日にかけてのソ連軍侵攻により占領され続けている。
遡って1938年(昭和13年)、樋口季一郎はハルピン特務機関長を務めていた。ナチスの迫害から逃れてきた2万人ものユダヤ人が満州とソ連との国境、極寒の地であるオトポールで立ち往生していた。彼らは満州国への入国を望んでいたが、もちろんビザもパスポートもない。
満州国政府は日本がドイツと日独防共協定を結んでいるため、ユダヤ人を受け入れるとドイツへの裏切りになるのではないかと当惑していた。
しかし、樋口は「人道上の問題」としてユダヤ難民の受け入れを独断で決断し、満州国や関東軍に遠慮することなくビザ発給を指事し、入国を許可した。
これにドイツが抗議し、日本の外務省、陸軍省でも樋口の独断を問題視する声が出てきた。
樋口は関東軍司令部に出頭し、当時、関東軍 参謀長であった東条英機に「日本も満州国もナチスドイツの属国ではありません。ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめすることが正しいことではありません。」と言い放った。正論をぶつけたのだ。
これに対し東条英機から樋口へのお咎めはなかった。
当時、世界中で人種差別は沢山あったが、日本は古くから人種差別をしてこない文化であった。ドイツの抗議を跳ね返した東条英機の判断がなければ日本の歴史に汚点を残していただろう。
そうして2万人のユダヤ人の命が救われた。
これはリトアニアで「命のビザ」を発給した杉原千畝の2年前のことである。
2年後の1945年2月、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンがソ連領クリミア半島のヤルタで会談を行った。
ルーズベルトはスターリンにドイツ降伏の3ヶ月後に日ソ中立条約を破棄して対日参戦するよう要請した。そして、その見返りに日本の領土である千島列島、南樺太、満州の日本が有する権益を与えるという密約を交わした。
8月6日、アメリカが広島に原爆を投下した。
その2日後、ソ連は密約を根拠に1945年(昭和20年)終戦間際の8月8日、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州、樺太、千島列島に侵攻を開始した。満州、樺太に侵攻したソ連軍は猛攻撃を続け、殺戮、略奪、強姦を繰り返した。
8月9日、今度は長崎に原爆が投下された。
1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定し、翌、8月15日に終戦の玉音放送が流れ終戦を迎えた。
その3日後、8月18日深夜、ソ連軍は日本の千島列島の最北端の占守島に侵攻してきた。
そこには日本の守備隊がいた。彼らは日本がポツダム宣言を受諾したことを知り、大本営から武装解除を命令されていたので、戦車や武器弾薬を解体中であり、半分は海に破棄していた。
いきなりの砲撃を受け、守備隊は北海道にいる本部の樋口季一郎に報告した。
樋口は「断固反撃!」と独断で指令した。
戦車隊の神様と呼ばれた池田末男隊長率いる士魂戦車隊はじめ守備隊の勇敢なる戦いのお陰でソ連の精強部隊が撃退され、日本は占守島を死守することができた。
記録としてソ連軍の過去最大の損害であったという。
そして、歴史上、樺太や占守島での勝利が日本軍最後の勝利となった。
大本営は8月16日に戦闘行為の即時停止を命令、そして「8月18日午後4時以降は、自衛目的の戦闘行動も全て停止」と命じていた。「自衛目的の戦闘も停止」など、本来ありえないことである。自衛権は、いつ、いかなる時でも許される「人類普遍の自然権」だからだ。
スターリンの計画では1日で占守島を占領し、1週間で北海道まで占領する予定であった。
もし大本営の命令に背く樋口季一郎の独断がなければ日本は朝鮮半島や東西ドイツのように分断国家になっていただろう。
侵攻、占領という明確な目的と敵意を持って攻めてくる相手に武装解除して“話し合い”で解決できるはずもなく、それはむしろ自国を瞬時に破滅に導くことになる。
ソ連の事情に通じていた樋口は、ソ連は必ず侵攻してくると確信していた。
ソ連はそういう流儀だと。
樋口は「8月15日の玉音放送の時に参謀の皆さんは泣き崩れていたけれども、私は涙ひとつ出なかった」と言っている。「これからが大変だ。陣取りゲームが始まる。」と隙を見せない気構えだ。
隙があると攻められるのだ。
確かにソ連は「終戦は9月3日だ」と主張していた。よって、ソ連にとって満州、千島、樺太への侵攻は、戦時下における当然の行為だと考えていた。
因みにアメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアは9月2日を終戦記念日としている。
樋口はこの様な「世界の多様なものの考え方」をよく知り、それに備えていた。
日本人によく見受けられる性善説は、国際社会では通用しない。
精神論ではなく、備えていることが大事なのだ。
樋口季一郎中将は世界的視野と合理的思考によって“全軍武装解除”という大本営の判断の誤りを排し、正面から反撃を加えてソ連軍撃退をやってのけた。
千島列島と南樺太では武装解除に応じてしまったためソ連の不法占拠を許すことになったが、占守島の戦いで北海道への侵略は阻止することができた。
樋口はスターリンの野望を打ち砕いた。
そのため、スターリンは樋口のことが相当憎かったのだろう。極東国際軍事裁判に際して樋口を「戦犯」に指名した。
ここでかつて樋口に助けられた在米ユダヤの方々が必死のロビー活動を行った。『ゼネラル・ヒグチは民族助命の功労者であり、今こそ救わねば』と。
マッカーサー司令長官に働きかけ、結果、樋口元少将は戦犯とはならなかった。
現在エルサレムにある「ゴールデンブック」には「偉大なる人道主義者・ゼネラル・樋口」、そして彼の部下であった「安江 仙弘大佐」の名前が刻まれている。
国際的な感覚と他民族のそれぞれの価値観を知り、人道的で合理的な決断を下した樋口季一郎。彼がいなかったら、今の日本はなかったと思われる。確実に分断国家になっていただろう。
憲法改正の国民投票も近く行われるであろう今、少しでも多くの方に知ってほしいと思い今月号の表紙に選んだ。
出典:「陸軍中将 樋口季一郎回顧録」樋口季一郎(著)
「ユダヤ難民を救った男 樋口季一郎・伝」木内是壽 (著)
「指揮官の決断―満州とアッツの将軍 樋口季一郎 早坂 隆 (著)
「戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎」
https://www.youtube.com/watch?v=4caq5e_toz8