2018年11月号(QRコード・SNS用)
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2018年11月号 デジタル・トークライン
<CONTENTS>
1.今月の向山洋一 教育語録
2.谷編集長の5min.アンサー
3.高段者に聞く Q&A!(動画・音声)
塩谷直大先生
4. デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
清田直紀先生
5.大成功の絵画工作指導
酒井臣吾先生
6.今月のサークル動画
7.本誌掲載論文の関連カラー画像
信藤明秀先生・根本正雄先生・勇和代先生・溝端久輝子先生・塩谷直大先生 動画あり!
林健広先生・ 板倉弘幸先生・美崎眞弓
8.トークライン本誌PDFデータ
9.今月の表紙人物
水川勝利
1.今月の向山洋一 教育語録
「授業というのは、いくつかの大きな枠組み・バックボーン、それがあって成り立ちます。」
「全国から多くの参観者が集まった授業の冒頭で「3本足で生きているライオン」の姿を向山氏は見せる予定だった。弱肉強食の世界で獣が助け合って生きているという衝撃の映像である。ところが、機械の不具合で映像が出ない。会場は固唾をのんで見守っていた。ほんの数十秒。向山氏は即座に切り替えた。映像のことには一切触れなかった。その場で、瞬時に、全く別の形の授業に組み立てを変更したのである。そのような神業ができるのも、いくつかの大きな枠組み・バックボーンがあって、成り立っている授業だからなのだ。」
(解説:TOSSデジタルチーム 手塚美和先生)
上の動画は、TOSS動画ランドで配信中の「向山洋一の道徳授業 わたしのいもうと」の向山洋一本人が解説する特典映像の一場面です。
本編全てを見たい!という方はコチラ→TOSS動画ランド
2.谷編集長の5 min. アンサー
11月号のテーマは「 クラス討論を成功させる秘訣 」です。
こちらは「谷編集長の5min.アンサー」の音声配信です!
音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。
3.高段者にきく!Q&A(動画・音声)
11月号は塩谷直大先生の「若手教師の指導力向上術」です!
こちらは「高段者にきく!Q&A」音声配信です!
音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。
4.デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
校内(研修)サークル活性化のための五つの秘訣&提案文書
清田直紀先生
関連資料をダウンロードできます。
詳しい解説は本誌P37に!
ダウンロード(wordファイル)はこちらから→校内授業勉強会 企画書
5.大成功の絵画工作指導
「夕焼け」のお国自慢をポスターで表現しよう
酒井臣吾先生
本誌32、33ページ掲載の酒井臣吾先生の画像をご紹介します。
解説は本誌をご覧ください。
6.今月のサークル動画
本誌で紹介しきれなかった魅力を動画でご紹介いたします!
※連絡先など、詳細は本誌(78ページ)をご覧ください。
①長野県松本市で活動中。見学大歓迎です!
高見澤信介先生
サークル名:TOSS平成白樺(長野県)
代表:高見澤信介
②初参加・初模擬授業者が多いサークルです!
原田朋哉先生
サークル名:TOSS大阪くれは(大阪府)
代表:原田朋哉
7.本誌掲載論文の関連カラー画像
①写真で解説!TOSS流板書術・ノート術
型をなぞらせ、「よみとる算数」を攻略する
信藤明秀先生
本誌26、27ページ掲載の関連画像をご紹介します。
②授業が激変!TOSS指導法最前線
「鉄棒くるりんベルト」は最高の補助具
根本正雄先生
本誌34ページ掲載の関連画像をご紹介します。
③現在進行形の教科書単元
≪1年:国語≫
漢字クイズで、知的に楽しく学習しよう
勇 和代先生
本誌38ページ掲載の画像をカラーでご紹介します。
≪2年:国語≫
「ビーバーの大工事」
溝端久輝子先生
本誌40ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
≪4年:算数≫
グーグルアースで1km2を実感させる
塩谷直大先生〔動画あり!!〕
本誌45ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
≪6年:算数≫
自由度の高い単元は、子供に挑戦させる
林健広先生
本誌49ページ掲載の画像をカラーでご紹介します。
④授業向上に役立つこの1冊
TOSS型英会話の原理を補教する
板倉弘幸
本誌63ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
⑤人気女性ライター トークラインだけの裏話
宣伝の極意
美崎真弓
本誌75ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
8.トークライン本誌PDFデータ
本誌全ページのPDFデータがダウンロードできます。
(本誌と一部のフォントが異なります。また、画像の解像度を低く設定しています。ご了承ください。)
閲覧・検索にどうぞご利用ください。(印刷はできません。)
こちらをクリックしてください→教育トークライン2018年11月号 本誌PDFファイル
9.今月の表紙人物
柴 五郎
(しば ごろう)
1860年6月21日(万延元年5月3日) – 1945年(昭和20年)12月13日
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
軍事参事官、台湾軍司令官、東京衛戍総督、第12師団長などを歴任。
「欧米列強から賞賛された日英同盟締結の立役者 柴五郎」
1900年4月、40歳の柴五郎は日本公使館付武官(中佐)として北京に着任した。柴は中国語、英語、フランス語に通じていた。
その年、北清事変(義和団事件)が勃発した。
義和団は「扶清滅洋」を叫ぶ過激な排外主義の結社で、北京はじめ各地で暴動を起こし、その矛先は北京にある11カ国の公使館に向けられ、ついに公使館区域を包囲するに至った。
東西900メートル、南北800メートルの公使館区域はもとより十分な防衛力はなく、1万人を超える義和団と清国政府軍を相手にわずか430名の兵士と150名の義勇兵で戦うしかなかった。各国の外交団は緊急の会議を開き、天津の港に停泊している軍艦に兵力を要請したところ、すぐに混成の救援隊341名が北京に到着。続いて2000名からなる第二救援隊の出動も要請したが、義和団により天津・北京間の鉄道が破壊され、その到着が大幅に遅れることとなった。
各国の外交団は援軍が来るまで、公使館区域に立て籠もる以外に道はないと、全員一致の見解を示した。こうして約2ヶ月に及ぶ籠城戦が始まった。6月21日には、義和団が優勢とみた清国宮廷の西大后が、義和団の反乱を支持して列強に宣戦布告した。このため義勇兵を含め柴五郎中佐以下約500名は、20万もの義和団を含む清国兵と戦うこととなった。全面対決を決めた各国公使は、北京籠城の総指揮官として元軍の英国公使マクドナルドを選んだ。このマクドナルドが多大な信頼を寄せたのが日本陸軍の柴五郎中佐だった。マクドナルドは各国の兵を指揮する権限を柴に与えた。欧米列強の白人が、東洋人でありしかもアジアの小国日本人の指揮下に入るなど、当時としてはあり得ないことだった。柴はイギリス、アメリカ、イタリア、フランス、ロシアの5カ国の兵を預かり、要地である粛親王府の守備を任された。そこには、義和団の殺戮から逃れてきた3000人を超える中国系キリスト教徒も保護されていた。備蓄食糧が少ない中で彼らを保護することは大きな決断が必要だったが、柴は皆を守ると即決した。
部下や大勢の義勇兵を組織化し、防衛ラインを固めていく柴の手腕は、マクドナルドを感嘆させたという。なかには「日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれている。彼はいつの間にか混乱を秩序へとまとめていた」と日記に記し、さらに「彼の奴隷になってもいいと思う」とまで書いた義勇兵もいた。柴の指揮下で戦った義勇兵であり税務司の下級職員・シンプソンというイギリス人義勇兵だ。シンプソンの日記には次のようにも書かれている。「皆が右往左往して落ち着かぬ中にあって、小柄な柴中佐は、緑や赤の点の付いた北京地図を手に、じっと動かずにいた。」これは北京城内と周辺の地理を調べ尽くし、清国人らのスパイを駆使した情報網を築き上げて入手した敵情や味方の配置をもとに、戦略を練っていたのだろう。
どのような苦境にあっても冷静沈着な柴の指揮と日本兵等の活躍に、籠城の各国兵士は士気を鼓舞され、どの国の武官も柴五郎の指揮下に好んで入るようになり、すべての行動は柴の意見を聴取した上で行われるようになった。そして籠城すること55日目、食料も弾薬も尽き果て餓死者が出る状況となった8月14日、ついに1万6千人の連合国(半分は日本軍)の援軍が北京に到着し、包囲する清国軍を撃退して、北京を開城させるに至った。こうして義和団の乱は終息した。
援軍の北京入城後、列国指揮者会議が開催された。英国公使館の総指揮官マクドナルドは元軍人らしく、籠城戦勝利を冷静に、事実を順を追って報告した。将兵の勇敢さと不屈の意志、それと不眠不休の働きによって救援の日を迎えることができたと述べ、最後に「北京籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである」と付け足した。
『英タイムズ』の特派員 ジョージ・アーネスト・モリソンの報道で、柴五郎はリュウトナンコロネル・シバ(柴中佐の意)として、欧米で有名になった最初の日本人となった。また、イギリスのビクトリア女王はじめ各国政府から勲章を授与された。
マクドナルドは1901年の夏の賜暇休暇中に英国首相ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯爵)と何度も会見し日本軍の優秀さを説き、7月15日には日本公使館に林董を訪ねて日英同盟の構想を述べ、以後の交渉全てに立ち会い日英同盟締結の強力な推進者となった。そして10月に駐日イギリス公使となって東京に赴任してきた。日英の関係は一気に接近の度を増し、1902年1月、英国は従来の「光栄ある孤立」と言われていた外交姿勢を放棄し日英同盟を締結した。極東の小さな日本が世界最強であった「大英帝国」にとって初の軍事同盟を締結した事実は大きい。そして、その陰の立役者は柴だといえるだろう。
その後、柴五郎は明治天皇の前で、北京籠城の経緯を報告する名誉を与えられた。1860年、会津藩士柴佐多蔵の五男に生まれた柴は明治新政府から「朝敵(天皇の敵)」とされた会津の汚名を、この時ついに晴らしたといえる。
柴は情報戦・諜報戦を重視し、それに秀でていたことが籠城戦の勝因であることは、現代日本に強いメッセージをもたらすと思う。
朝敵とされ、祖母、母、姉、妹、兄嫁五名が自刃するという悲惨な少年期を生き、信じられないような苦境に置かれた少年が苦労を乗り越え、世界に初めて知られる日本人になったこと。また古の武士道からなるであろう冷静沈着で的確な判断力と統率力、人心を掌握する人間的魅力、誠実さという日本固有のものが欧米列強の軍人たちをも虜にし、国際社会で賞賛された事実は、グローバル化が進む世界で生きて行かざるをえない多くの児童にヒントを与えてくれると思う。
一人でも多くの教員の方々、児童のみなさんに柴五郎について知っていただきたいと思い、今月号の表紙に選んだ。
【参考文献】
『ある明治人の記録』編著・石光真人 中公新書
『日本人の底力』著・小山矩子 文芸社
『守城の人―明治人 柴五郎大将の生涯』著・村上兵衛 光人社
『PHP研究所 歴史街道2010・5』齋藤隆、中村彰彦、八尋舜右、江宮隆之、松田十刻
映画「北京の55日」(ニコライ・レイ監督、チャールトン・ヘストン、デヴィト・ニーヴン主演)1963年制作
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青少年論語学習講座 2018-04-24 14:05:17 | 志 / 鉄は熱いうちに打て ルテナント・コロネル柴五郎https://blog.goo.ne.jp/ronngo0904/e/c611b74520fd5b79e4be87b1882ce59f
前坂俊之オフィシャルウェブサイト/日本リーダーパワー史(775)『 明治史の謎を解く』-『 日英同盟前史―北清事変(義和団の乱)で見せた日本軍 のモラルの高さ、柴五郎の活躍が『日英同盟』締結の きっかけになった』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/23511.html