2018年9月号(QRコード・SNS用)
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2018年9月号 デジタル・トークライン
<CONTENTS>
1.今月の向山洋一 教育語録
2.谷編集長の5min.アンサー
3.高段者に聞く Q&A!(動画・音声)
木村重夫先生
4.特集:特別支援の子の力を伸ばすTOSSの指導法
小嶋悠紀先生・川原雅樹先生・森元智博先生・太田千穂先生
5.デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
小嶋悠紀先生
6.大成功の絵画工作指導
酒井臣吾先生
7.今月のサークル動画
8.本誌掲載論文の関連カラー画像
塩谷直大先生・片山陽介先生・笠井美香先生・林健広先生・蔭西孝先生・板倉弘幸先生・美崎眞弓
9.トークライン本誌PDFデータ
10.今月の表紙人物
水川勝利
≪番外編!!≫
サマーセミナーの寄せ書き大公開!!
1.今月の向山洋一 教育語録
「面白いな、とかそういうの思わない?思った?そういうんでいいんだよ。」
1985年、向山洋一氏が三年生を相手に行った向山型分析批評「春(安西冬衛)」の授業である。
映像は、「一人残らず意見をもっている状態」にすることで、発表や討論につなげていく場面だ。
向山氏はどこまでもあたたかな対応を行っていく。
(解説:TOSSデジタルチーム 小島一樹先生)
上の動画は、TOSS動画ランドで予定の「春(安西冬衛)」の一場面です。
本編全てを見たい!という方はコチラ→TOSS動画ランド
2.谷編集長の5 min. アンサー
9月号のテーマは「夏休み明け クラス再構築の急所」です。
こちらは「谷編集長の5min.アンサー」の音声配信です!
音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。
3.高段者にきく!Q&A(動画・音声)
9月号は木村重夫先生の「教師のうちにやっておきたいこと」です!
こちらは「高段者にきく!Q&A」音声配信です!
音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。
4.特集:特別支援の子の力を伸ばすTOSSの指導法
タイアップ企画
「TOSS特別支援教育」誌 タイアップ動画
小嶋悠紀先生
「教えて褒める」の繰り返しで子供は救われる
川原雅樹先生
本誌15ページ掲載の関連画像をご紹介します。
手元のノートと同じマス目、同じ色の線だから、すらすらと黒板を写すことができる
森元智博先生
本誌16ページ掲載の関連画像をご紹介します。
海外の先行実践を取り入れた「パッと行動支援 絵カード」
小嶋悠紀先生
本誌19ページ掲載の関連画像をご紹介します。
計算の苦手な子も安心して使える「百玉そろばん」
太田千穂先生
本誌22ページ掲載の関連画像をご紹介します。
5.デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
ASD(自閉スペクトラム症)の理解を促す校内研修
小嶋悠紀先生
関連資料をダウンロードできます。
詳しい解説は本誌P37に!
ダウンロード(PDFファイル)はこちらから→初任者研修―特別支援教育の基礎的理解と対応 ASD編
6.大成功の絵画工作指導
低学年向けの楽しいシナリオ「怪獣とお散歩」
酒井臣吾先生
本誌32、33ページ掲載の酒井臣吾先生(酒井式描画指導法研究会)の画像をご紹介します。
解説は本誌をご覧ください。

切り取ったら裏返しにして組み立てる。裏返すことで改めて新しい怪獣の形を追求しやすくなる。
Cでは、新しく首を長くしたり、尾を長くしなやかに作り直したりしている。
貼り付ける前に十分に怪獣の形を検討させること。
7.今月のサークル動画
本誌で紹介しきれなかった魅力を動画でご紹介いたします!
※連絡先など、詳細は本誌(78ページ)をご覧ください。
①授業づくりから学校づくりまで学べる
太田政男先生
サークル名:TOSS邑智(島根県)
代表:太田政男
②指名なし音読、発表が定例会の定番
小松和重先生
サークル名:TOSSあやめ(千葉県)
代表:小松和重
8.本誌掲載論文の関連カラー画像
①写真で解説!TOSS流板書術・ノート術
新学習指導要領に対応した社会科ノートまとめの提案(初めの一歩編)
塩谷直大先生
本誌26、27ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
②授業が激変!TOSS指導法最前線
プログラムの共有化―「ジャンボ ホワイト・TOSSノート」を持って、パソコン室へ行こう!
塩谷直大先生≪動画あり!!≫
本誌30、31ページ掲載の関連画像と動画をご紹介します。
数の量感と操作で、かけ算九九を習得できる
片山陽介先生
本誌34ページ掲載の画像をカラーでご紹介します。
授業の始まりから全員を巻き込むことができる「理科学習ノート」(正進社)
塩谷直大先生
本誌35ページ掲載の画像をカラーでご紹介します。
≪3年:国語≫
「インタビューをしてメモを取ろう」
笠井美香先生
本誌42ページ掲載の画像をカラーでご紹介します。
≪4年:算数≫
算数にプログラミング的思考を取り入れる
塩谷直大先生≪授業コンテンツ・ワークシートDownloadあり!!≫
本誌45ページ掲載の授業コンテンツ・ワークシートがダウンロードできます!
授業コンテンツ(PowerPointファイル)はこちらからダウンロードできます→教育出版・4年上 P.120 「整理のしかた」
ワークシートはこちらからダウンロードできます→ワークシート(PDF)/ワークシート(PowerPoint)
≪6年:算数≫
拡大図・縮図 時間差を埋めるポイント
林健広先生
本誌49ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
④「基礎基本の授業例」と「主体的で深い学びの授業例」
≪理科:基礎・基本≫
3年「太陽と地面のようす」の基礎・基本
蔭西孝先生
本誌50ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
《理科:主体的・対話的で深い学び》
3年「太陽と地面のようす」の主体的・対話的で深い学び
蔭西孝先生
本誌51ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
⑤授業技量向上の法則
日本と中国には共通する言語の授業がある
板倉弘幸先生
本誌68ページ掲載の関連画像をご紹介します。
⑥人気女性ライター トークラインだけの裏話
番外編(おまけシリーズ)
美崎真弓
本誌75ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。
9.トークライン本誌PDFデータ
本誌全ページのPDFデータがダウンロードできます。
(本誌と一部のフォントが異なります。また、画像の解像度を低く設定しています。ご了承ください。)
閲覧・検索にどうぞご利用ください。(印刷はできません。)
こちらをクリックしてください→教育トークライン2018年9月号 本誌PDFファイル
10.今月の表紙人物
金子 賢太郎
(かねこ けんたろう)
嘉永6年2月4日(1853年3月13日) – 1942年(昭和17年)5月16日
日本の官僚・政治家。
司法大臣、農商務大臣、枢密顧問官などを歴任。
当時としては珍しくハーバード大学で学ぶ。
井上毅,伊東巳代治らと大日本帝国憲法起草に従事している。
「日本を救った不世出の外交家 金子堅太郎」
日本の首脳たちがロシアとの会戦を決意したすぐ、明治34年2月4日、貴族院議員金子堅太郎男爵は元老、枢密院議長伊藤博文に呼び出され、特命を受けた。一年続くか二年続くか分からないこの戦争。しかし日本には1年分の戦費、体力しか無い。もし戦争の勝敗がつかなければ、間に入って仲裁してくれる国が必要である。それはアメリカしか考えられない。
すぐさま米国に渡り、「米国での日本に良好な世論形成をはかり味方にすること」と「大統領に講話の仲介を依頼すること」という密命が金子に言い渡された。
ハーバード大学留学時代、また卒業後に第26代米国大統領セオドア・ルーズベルトと懇意にしている金子堅太郎にしか出来ない使命であった。
当時の米国はロシアと親密であり、セオドア・ルーズベルト大統領が「日本とロシアとの関係には厳正中立と発表していたため、金子は使命を成功させるのは無理だと断った。しかし、伊藤の「もしロシアが日本に攻め入れば、自分は一介の兵卒として鉄砲を担ぎ山陰道から北九州で命の続く限り戦い抜く」との説得に感化され、「国を賭しての戦いであるならば、金子は身を賭して君国のためにつくしましょう」と受諾した。
明治の首脳たちは開戦当時から戦争の終わらせ方を考え、手を打っていたのだ。
金子は桂太郎首相からの「米国の新聞社を買収する資金を潤沢に出す」との申し出を断り、伊藤博文の側近、金子男爵という一私人として世論喚起に望んだ。
当時の日本は公債という借金で戦争をしなければならなかったことと、世論に影響をもつ言論人の多くがいるという理由で、大統領がいるワシントンではなく公債発行が出来るウォール街のあるニューヨークを世論喚起の本拠地として定めたと思われる。
明治37(1904)年4月4日、200名以上の聴衆が集まったユニバーシティークラブを皮切りとして、以後一年間、母校のハーバード大学やカーネギーホール等の7都市30会場で演説を繰り広げた。
何故日本は日露戦争を戦わなければならないのか、その原因、地政学的な状況等、日本の大義を訴えた。「日本は決して領土的野心のために戦っているのではない。51年前貴国のペリー提督が授けてくれた門戸開放を守るために戦っているのだ」と、米国との共通の理念、価値観の共有を押さえた内容であった。
演説の最後に、数日前に旅順口で戦死したロシアのマカロフ提督に対して「マカロフ提督は世界有数の戦術家です。その名声はロシア海軍史に永世不滅に輝くでしょう。私はここに哀悼の意を評します」と述べた。
ロシアの駐米大使カッシーニが各新聞社を買収して反日キャンペーンを展開していたのとは対象的に、金子はたとえ敵であろうとも敬意を表する日本の武士道の精神に則って対した。
この活動が実を結んで、当初ロシア寄りだった世論が日本側に傾き出す。
翌日の各新聞は「日本はアメリカの国是である門戸開放のために戦っている」と賞賛する内容とともに武士道のフェアーな精神、豊かな人間性、不変の道理、世界の中で普遍的な高みにある人間性を賞賛して書き立てた。
加えて、金子は日本の政治体制や財政状況、国民性などを新聞や雑誌へ精力的に寄稿した。
おそらく彼は、日本の文化を世界に最初に伝えた人物の一人ではないだろうか。
金子の奮闘が世論を喚起し、大統領選を控えているルーズベルトにも正当性を与えたのだろう。6月7日、ホワイトハウスでルーズベルトは「日本の為に終戦の労いをとる。日本は文明の為に戦うものなればなり」と講話の仲介を明言した。
金子が「日本は米国と同じ民主主義国家であり、西洋と同じ基盤の国である」と訴えたことが、大統領にとっても世論的に好都合だったと思われる。
大統領にとっては皇帝による独裁国家であるロシアが東アジアを制圧すれば、ビジネス的にも米国にとっては不利に働くからだ。
旅順攻略後、金子とルーズベルトとの個人的な絆が力を発揮した逸話がある。
ロシア皇帝の従兄弟であり、ロシアを日露戦争へ誘導した張本人であるドイツ皇帝ウィルヘルム二世からルーズベルト宛に親書が送られた噂が立った。
日本としては財務的にロシアを支援しているドイツ皇帝からの親書で、ロシア皇帝がまだ戦争を続ける気があるのか、講話の帰結をどのように考えているのかということがわかるのではないかと考えた。これはどうしても知りたい情報であった。高平小五郎駐米大使は早速金子をルーズベルトのもとに派遣した。
かたくなに親書の存在を否定するルーズベルトから金子は粘りに粘り、ついにその現物を見せてもらったのだ。ルーズベルトの師匠筋である国務長官ジェン・ヘイにすら見せていないものだった。
金子はその内容を早速本国に電報で伝えた。桂首相は歓喜のあまり、その電報を明治天皇にお見せしたほどであったという。
奉天会戦でかろうじて勝った日本軍ではあるが、戦死者は8万人、戦費は当初の予想を上回る17億円にものぼっていた。
児玉源太郎参謀長は急遽東京に戻り、山県有朋や元老たちに「もし今後戦いが一年続くのであれば、兵士は25万人、戦費は15億円必要であり、これ以上の罫線は困難である」と早急な講話を説いてまわった。
ルーズベルトの度重なる勧告にもかかわらず、ニコライ二世は講話に応じなかった。
そして日本海海戦、日本は世界の海戦史上最大の勝利をした。
翌日、金子の元に届いたルーズベルトからの書簡の署名の下にはルーズベルトが書いた「Banzai!」の文字が大きく踊っていた。
明治38(1905)年8月、ようやくポーツマス会議が行われた。
私人の金子には会議への出席資格は無かったが、伊藤博文から連鎖の任を命じられ、参加した。
ロシアがなかなか負けを認めないため紛糾した会議で、南サハリンは日本の領土になった。しかし小村寿太郎外務大臣・全権大使がかたくなにこだわった賠償金の要求は取り下げられた。
日本は晴れて戦争の勝利を確定することが出来た。
しかし日本国内では、国民に日本のもうどうしようもない兵力、戦費の枯渇と財政上の困難を知らされていなかったので、この条約締結の内容に憤慨し日比谷焼き打ち事件などが起こった。
奉天会戦の後、逃げるロシア兵を追従する余力の一切無かった日本にとって、この勝利確定は国家の死活問題であった。
日本は後の南満州鉄道を獲得し、本来の戦争目的であるロシアの南下政策の脅威を一掃したのであるから、国の財政状況、経戦能力から鑑みるに、条約締結の内容は悪いものではなかったはずだ。
この勝利の確定とその後の関税自主権回復により、日本は真に独立国家となり、欧米列強と完全に対等な国際関係に入ることとなった。
金子のセオドア・ルーズベルト大統領との個人的な友情があったこと、金子が日本の武士道精神等、日本人が西洋の騎士道と同様、フェアーな高尚な人間性をもっていることや、同じアジアの中でも日本はアメリカと同じ民主主義国家であることを伝えたこと。これらがアメリカ人の心の琴線を捉え、人々の共感を勝ち取ることが出来たこと。これらの事が無ければ今の日本は無かったのではないだろうか。
金子堅太郎のことを多くの方々、そして子どもたちに知っていただきたく、今月号の表紙に選んだ。
表紙デザイン:水川勝利
≪番外編≫サマーセミナーでの寄せ書き大公開!!
8月5日のサマーセミナーは大変大盛況のうちに幕を閉じました。参加された先生方、お疲れ様でした!
ロビーに設置した寄せ書き用のパネルには、先生方から素敵なメッセージをお寄せいただきました!
ご協力ありがとうございました!!