2018年8月号(QRコード・SNS用)

2018年8月号 デジタル・トークライン

<CONTENTS>

1.今月の向山洋一 教育語録
2.谷編集長の5min.アンサー
3.高段者に聞く Q&A!(動画・音声)
 甲本卓司先生
4.4.8.1月号特別企画!あの高段者の国語・算数授業
 谷和樹先生・手塚美和先生・河田孝文先生・松崎力先生・木村重夫先生
5.特集:「考え、議論する道徳授業」のTOSS型発問・指示
 林健広先生
6.デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説
 笠井美香先生
7.大成功の絵画工作指導
 佐藤昌彦先生
8.今月のサークル動画
9.本誌掲載論文の関連カラー画像
 原田朋哉先生・赤坂勝先生・太田政男先生・川原雅樹先生・林健広先生・
宮尾益知先生/関根朋子先生・溝端久輝子先生・美崎眞弓

10.トークライン本誌PDFデータ
11.今月の表紙人物
 水川勝利
 

1.今月の向山洋一 教育語録

「やっぱりあげません。」「ほしい人手を挙げて。」

授業導入の1分間の映像である。
教材キットをすぐに渡すと、この映像のように熱中状態にはならない。
笑顔でにこにこしながら、「じらす」ことで、
子供たちのわくわくする気持ちを生み出すことができる。
本授業では、導入場面だけではなく、随所に「じらし」の技術を学ぶことができる。
また、子供の多様な発見をまとめる場面も見られる。
新指導要領で目玉となっている「主体的・対話的で深い学び」の一つの形を
学ぶこともできる映像となっている。

(解説:TOSSデジタルチーム  川田啓輔先生)

上の動画は、TOSS動画ランドで配信中「豆電球」の一場面です。

本編全てを見たい!という方はコチラ→TOSS動画ランド

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2.谷編集長の5 min. アンサー

8月号のテーマは「授業の原則 第7条 『空白禁止の原則』」です。

こちらは「谷編集長の5min.アンサー」の音声配信です!

音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。 

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3.高段者にきく!Q&A(動画・音声)

 8月号は甲本卓司先生の「授業力向上術」です!

こちらは「高段者にきく!Q&A」音声配信です!

音声を聞くには、下の画像をクリックしてください。 

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4.4.8.1月号特別企画!あの高段者の国語・算数授業

《2年国語》
スピーチ指導、最初の第一歩は「ショー&テル」である
谷和樹先生

本誌40、41ページ掲載の関連動画をご紹介します。

特別コンテンツ!!
《4年国語》模擬授業「ふしぎ」
手塚美和先生
デジタル・トークラインだけの特別動画です。

《3年国語》
物語文の授業にも定石がある
河田孝文先生

本誌42、43ページ掲載の関連画像をご紹介します。

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《5年算数》
分数のたし算の計算の仕方
松崎力先生

本誌46、47ページ掲載の関連画像をご紹介します。

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《6年算数》
様々な技を使って立体を学習させる
木村重夫先生

本誌48、49ページ掲載の関連画像をご紹介します。

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5.特集:「考え、議論する道徳授業」のTOSS型発問・指示

道徳で、なぜ議論するのか、趣意説明をする
林健広先生

本誌24ページ掲載の関連画像をご紹介します。

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6.デジタルトークライン連動企画!デジタルでダウンロード、本誌で解説

夏休み前に子供たちに語る読み聞かせシナリオ
笠井美香先生

関連資料をダウンロードできます。
詳しい解説は本誌P37に!

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ダウンロード(PDFファイル)はこちらから→夏休み前に子どもに語る読み聞かせシナリオ

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7.大成功の絵画工作指導

どのような人間の育成を目指して、教材を開発するのか
佐藤昌彦先生

本誌32、33ページ掲載の佐藤昌彦先生(北海道教育大学教授)の画像をご紹介します。
解説は本誌をご覧ください。

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8.今月のサークル動画

本誌で紹介しきれなかった魅力を動画でご紹介いたします!
※連絡先など、詳細は本誌(78ページ)をご覧ください。

①相談から模擬授業まで何でもOK
小塚祐爾先生

サークル名:TOSS大和だましい(神奈川県)
代表:小塚祐爾

②サークルは心の港
光村拓也先生

サークル名:教師力向上サークル恥楽っと(香川県)
代表:光村拓也

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9.本誌掲載論文の関連カラー画像

①写真で解説!TOSS流板書術・ノート術
夏休み追試可能! 夏休み体験記(ノート)の作り方
原田朋哉先生

本誌26、27ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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②授業が激変!TOSS指導法最前線
仮説検証での思考ツール活用法
赤阪勝先生

本誌30、31ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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③「基礎基本の授業例」と「主体的で深い学びの授業例」
≪社会:基礎・基本≫
「主体的・対話的で深い学び」を達成させる「単元構成10」
川原雅樹先生

本誌50ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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《社会:主体的・対話的で深い学び》
写真から調べ学習や討論になる発問
川原雅樹先生

本誌51ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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≪道徳:基礎・基本≫
「妥当性」「信頼性」のある評価
林健広先生

本誌52ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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《道徳:主体的・対話的で深い学び》
子供の書いた意見を、3つのポイントで評価する
林健広先生

本誌52ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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④特別支援教育の指導システム
自閉症の人の感じ方とセルフコントロール術
宮尾益知先生/関根朋子先生

本誌56ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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⑤エビデンスのある教育研究の進め方
音楽の効果を「Google Scholar」を使って検索
溝端久輝子先生

本誌60ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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⑥人気女性ライター トークラインだけの裏話
道を極めた人の言葉②
美崎真弓

本誌75ページ掲載の関連画像をカラーでご紹介します。

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写真の真ん中にコチョウランが。

写真の真ん中にコチョウランが。

山谷えり子議員とTOSSのメンバーで記念写真。

山谷えり子議員とTOSSのメンバーで記念写真。

常に両手をそろえている向山先生。

常に両手をそろえている向山先生。

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10.トークライン本誌PDFデータ

本誌全ページのPDFデータがダウンロードできます。

(本誌と一部のフォントが異なります。また、画像の解像度を低く設定しています。ご了承ください。)

閲覧・検索にどうぞご利用ください。(印刷はできません。)

こちらをクリックしてください→教育トークライン2018年8月号 本誌PDFファイル

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11.今月の表紙人物

talkline201807h1

小村 寿太郎
(こむら じゅたろう))

1855年10月26日(安政2年9月16日) – 1911年(明治44年)11月26日
日本の外交官・政治家。
日英同盟の締結、日露戦争の戦時外交処理、ポーツマス条約の締結など、数々の重要な役目を担った。
日米修好通商条約などの不平等条約の改正にも尽力している。

「日本近代史 きっての外交家、小村寿太郎」

幕末から開国に至る頃、日本は、不凍港(冬に海面が凍らない港)を渇望するロシアの南下による脅威に晒されていた。
日本の開国後の近代化の原動力は、当時のこのような状況にあって、欧米列強の侵略に対する恐怖と、日本の独立と安全保障にあった。

明治33年、ロシア軍が満州へ進駐、朝鮮国は日清戦争後に宗主国を清からロシアに乗り換え、朝鮮国王はロシア公使館に逃げ込んだ。朝鮮半島がロシアの手に落ちれば、次は日本が狙われる。このまま放っておけば、ロシアはついには日本を脅迫するだろう。事ここに至れば、国を賭しても戦うしかない。
当時のロシアの GDPは日本の約3倍。日本はまだ農業と養蚕業などと、それに関連する軽工業が主体であった。
日本の人口は4400万人。ロシアの人口は1億2500万人を数え、およそ日本の3倍だった。
ロシアの常備兵力は約200万人、日本は20万人だった。

日本政府の中には「日本とロシアが戦えば、日本が確実に勝つ」という見込みを立てている者は一人もいなかった。陸軍、海軍、大蔵の中にも。
しかし、ついに国家の運命をかけて大国ロシアに宣戦布告をした。

日本の首脳は「1年限定でのみ戦う。連戦連勝を続け、敵が疲れたところを和平に持ち込むしかない」と考えていた。元老と政府首脳は、開戦当初から布石を打った。外務大臣であった小村寿太郎は、「和平の仲裁は日本の40倍ほどの資金量を誇るアメリカに頼るしかない」と、高平小五郎を駐米公使として派遣した。一方、伊藤博文は、セオドア・ルーズベルト大統領とハーバード大学時代に懇意であった貴族院議員・金子堅太郎を、アメリカの世論が日本に同情を寄せる様に取り計らうよう派遣した。また、伊藤は娘婿の末松謙澄を、欧米において日本に良好な世論の形成をはかるために派遣している。

日露戦争は“黄色人種でなおかつ非キリスト教国である”日本というアジアの国が、白人キリスト教国と堂々と戦う初めての戦争であった。日本についてよほど欧米に理解してもらわないと、戦費の調達も、戦後の講話に際しても、日本に干渉してくる可能性があった。

日本には大国ロシアと戦う十分な戦費も軍事力もなかったのである。

小村寿太郎は戦費調達のため、高橋是清を英国に派遣した。
高橋は大変な苦労をして戦費を調達した。
日本の戦費は、今でいう400兆円にも達した。たった1年か2年で消費する額としては、いかに膨大な事だろう。
当時の日本には、その利息を支払う能力すら到底なかった。
一方ロシアは、対日戦は1年で片がつくと考えていたようだ。

日露開戦後、奉天会戦や日本海海戦での圧勝は、奇跡のごときであった。
特にロシア軍32万、日本軍25万、両軍合わせて57万人もが戦った人類史上最大の会戦である奉天会戦(1905年2-3月)において、圧倒的有利なロシア軍になんとか優位に立つと、参謀長の児玉源太郎は直ぐに日本に戻り、日本の戦力が尽きていることを訴えて「早期講話」を説いてまわった。
「国力で圧倒的な優位に立つロシアに勝つには、チャンスは今しかない」
日本には戦争を続けるための弾薬、兵士がつきかけていた。

5月の日本海海戦ではロシア軍に完勝したが、もし、その後から講話に向けて動いていたら、国土、物資の面で圧倒的に優位なロシアが負けを認めず、日本の勝利という歴史はまた違うものになっていた可能性があったと思われる。

日露戦争の日本側の戦争目的は「日本の安全保障」であり、朝鮮半島北緯39度以北にロシアを押し返す事だった。

小村寿太郎は日本の外務大臣・全権大使として日露講和条約(ポーツマス条約)締結のため、アメリカに向かった。対するロシア側はセルゲイ・ウィッチ全権大使だった。

ポーツマスに向けて出発するとき、小村は、新橋駅で戦勝を祝う歓呼の人垣に囲まれて見送る桂首相に「帰って来る時には、人気はまるで正反対でしょう」と言っている。大国ロシアは必ずしもこの戦争に負けたとは考えていないことを、小村はよく理解していた、そのため交渉は難航するであろうこと、そしてロシアから引き出せる代償は、一般の日本国民が期待するものからは程遠いものになるだろうことを、最初から予見していたのである。

ロシアのニコライ二世にしてみれば、奉天で負けても、日本海でバルチック艦隊が撃滅されても、決して自国ロシアの領土を侵されたわけではない。韓国や清国の領土でのことだったので、所詮は局地戦での負けとしか認識していなかった。
しかし、「血の日曜日事件(参照・下記ウィキペディア)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1905%E5%B9%B4)
以降、ロシア国内は政情不安に見舞われ、財政的にも非常に困難な状況であった。そのため、講和が実現したのだ。

小村が日本政府から一切譲歩できない条件として政府から与えられていたのは、次のとおりである。
一、朝鮮からロシア権益を一切撤去し、同国は日本の利益下に置くこと。
一、日露両軍は満州から撤退する事。
一、旅順、大連その他、遼東半島の租借権、およびハルビン以南の鉄道、炭鉱を日本に譲渡する事。

日本政府としては戦争目的を達成したので、それを確定する事、平和回復に重きを置き、樺太の割譲と賠償金獲得に関しては、譲歩しても良いと考えていた。
しかし、小村は賠償金獲得にこだわり続けた。
講和会議で、小村自身は賠償金獲得を諦めるという苦渋の決断を迫られたが、「日本が弾薬、戦費、陸軍兵力、特に将校が不足していること」をポーカーフェイスで隠し通した結果、ロシア側は前記条件をあっさり飲んだ。
もしこれが露見していれば、ロシアは戦争継続を主張し、日本の勝利を確定することはできなかったかもしれない。

9月5日、なかなか負けを認めないロシアから戦争賠償金をとることは出来なかったものの、小村寿太郎の努力が実を結び、ポーツマス条約で南樺太の割譲を得て「日本の勝利」を確定できた。

この勝利の確定と、1911年ワシントンD.C.で小村が担当した関税自主権回復を規定した改正条項を含む日米通商航海条約が調印されたことで、日本は真に独立国家となり、欧米列強と完全に対等な国際関係に入ることとなった。

ペリーの黒船来航によって日本が開国してから、56年余後の事である。

もし小村寿太郎がいなければ、全世界が驚き、アジアの国々が歓喜した日露戦争勝利の確定はなかったかもしれない。
小村寿太郎のことを知ってほしいと思い今月号の表紙に選んだ。

 

表紙デザイン:水川勝利

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